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横浜地方裁判所 昭和44年(ワ)699号 判決 1972年4月04日

原告

土屋洋子

ほか二名

被告

志田勝

主文

被告は原告土屋洋子に対し金三、三〇〇、〇〇〇円及びこれに対する昭和四三年六月三〇日以降完済迄年五分の金員の支払いをせよ。

原告土屋清房及び同土屋和子の請求は、いずれも棄却する。

訴訟費用は、被告の負担とする。

この判決は、第一、三項に限り、仮りに執行することができる。

事実

第一当事者の求める裁判

一  請求の趣旨

被告は原告土屋洋子に対し金三三〇万円、同土屋清房に対し金八〇万円、同土屋和子に対し金五〇万円、及び原告洋子に対する右金員、同清房に対する右金員のうち金五〇万円、同和子に対する右金員に対する昭和四三年六月三〇日以降完済迄年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は、被告の負担とする。

との判決並びに仮執行の宣言を求める。

二  請求の趣旨に対する答弁

原告らの請求は、いずれも棄却する。

訴訟費用は、原告らの負担とする。

との判決を求める。

第二当事者の主張

一  請求の原因

(一)  交通事故の発生

原告洋子は次の交通事故により後記の如く受傷した。

1 日時 昭和四三年六月二九日午前八時一〇分

2 場所 横浜市鶴見区鶴見町三九四番地先路上

3 加害車両(被告車) 普通乗用自動車(神5ふ九二五三号)

4 右の運転者兼保有者 被告

5 事故の態様 原告洋子は当時小学校一年生で、当日通学途次前記日時場所において横断歩道上を横断中、中央線を越えた所で右道路を東方より西方に向けて時速約四五キロメートルで進行してきた被告車に衝突された。

6 受傷内容 脳震盪、前額挫傷、腹部挫傷、左肘左膝挫傷及び擦過傷、脾臓破裂

(二)  責任

被告は被告車の所有者でありそれを自己のために運行の用に供していたものであるから自動車損害賠償保障法第三条に基き本件人身事故により生じた損害を賠償する責任がある。

(三)  損害

原告らは本件事故により次のような損害をうけた。

1 原告洋子の損害

(ⅰ) 過失利益 金二、二九七、五六八円

昭和四二年度の女子の給与総額は月額二七、五〇〇円であり、原告洋子が就労予定の一八才に達する時点において女子の月間給与額が右の額を下回ることは社会情勢からしてありえない。

ところで、労働省労働基準局長通牒(昭和三二年七月二日)による労働能力喪失率表によれば脾臓剔出の労働能力喪失率は四五パーセントであるから原告洋子は就労可能な一八才から六三才迄の間毎年年間一四八、五〇〇円(27,500×45/100×12)の損害を被ることとなり、その一八才の時点での合計損害から年五分の割合による中間利息をホフマン式計算により控除して算出すれば三、四四九、八〇三円となり更に右の金額から年五分の割合による中間利息をホフマン式計算法により控除した一八才時点での現価を算出すれば二、二九七、五六八円となる。

(ⅱ) 慰藉料 金三、五八〇、〇〇〇円

イ 原告洋子は本件事故による脾臓破裂のため、昭和四三年六月二九日午後四時三〇分より二時間に亘り、腹部切開のうえ脾臓を剔出した。ところで脾臓の生理機能等については以下のとおりである。

<1> 脾臓の位置・形態

脾臓は、腹腔の左上部にあり、第九ないし第一一肋骨の後部の前にあり、上方並びに側方は横隔膜の下面に接し、前内方は胃底部に、後内方は左腎に、下方は結腸に接し、大体において四個の面を有している。

横隔膜面はだいたい平らでやや凸面をなし、楕円形に近い。内臓面は、血管及び神経の出入りする脾門を中心としている面である。

その大きさは、充血の程度によつて変化するが、普通はだいたい長さ一〇―一一cm、幅六―七cm、厚さ三cm位である。又重さは五〇―二〇〇gで平均一二〇gである。年令的には二〇―二五才位が最大で、以後多少縮少するという。

又、通常の色彩は、暗赤かつ色のやわらかい器官であるが、血液がその内部に多量に含まれると固くなり、色も赤みを増加する。

<2> 脾臓の構造

内臓面には、血管および神経の出入りする脾門があり、脾臓の外面を被う被膜より続いて脾柱が実質内に数多く突起しており分枝して互いに結合している。脾柱の網の目を満たしている実質を脾臓という。脾臓のうち白く見える球状の部分を脾小節(マルピーギ小体)という。

脾門から入つた脾動脈は、はじめ脾柱の中を通り(脾柱動脈)、マルピーギ小体を通過して、筆毛動脈(末稍毛細動脈)に分岐し、毛細管となつて稍洞に開く。

脾洞に続く静脈は、脾柱を通つて脾門に集まり脾外に出る。

<3> 脾臓の作用

脾臓は、古来、五臓(心・肺・肝・腎・脾)の一つとして重要視されて来たのであるが、現在脾臓の作用として一般的に認められている作用は次のとおりである。

a 造血作用

胎生終期ころには、肝臓・骨膸とともに脾臓においても赤血球が生産される。然し、右脾臓の赤血球生産機能は生後一年以内には消失する。それ以降は、マルピーギ小体にてリンパ球のみを造成する。

しかし、動物で、大出血をおこさせるか、血液毒を与えるか、或は一定の細菌感染をおこさせると数日後に脾臓が腫大し、内部に骨膸様の組織が生じ、有核赤血球が多量に認めらる。人間でも、白血病・肉腫・仮性白血病性小児貧血並びにジフテリア・マラリア・梅毒等の伝染病で同様の変化の認められた報告があり、成人脾でも一定の病的条件の下では、脾臓が胎生時の性格を帯び来たつて、骨膸性化生を営むことは動かし難い。

b 血液貯臓機能

脾臓は、その組織・構造からも明らかなように、その内部に血流の停滞を来しやすく、この部分に血液を貯蔵している。その分量は数百ccと言われ、全血量の二〇分の一以下といわれる。この貯蔵血は、身体安静状態においては長時間脾膸組織の間隙中に停滞して、血管内の血液と交代しない(すなわち、小量の一酸化炭素を吸入せしめる時、これが速かに循環血中に分布するが、殆ど脾内の貯蔵血には及ばない)。

しかも、この貯蔵血は、循環血に対して比較的血素が少なく、赤血球によつて濃縮していることが判明している(脾臓の収縮により貯蔵血が放出されると末稍血には赤血球の増多を見ることが実験的に証明されている。)。脾臓は、失血・過激な運動・急性窒息・低圧環境・寒冷・その他血液中の酸素不足が一定度以上に達すると脾臓の収縮を来し、貯蔵血(赤血球に富む)を循環血中に放出する。而して、右原因が消除すると脾臓は再び弛緩し、その内部に血液を貯蔵することを始める。以上のとおり、脾臓が赤血球を多量に含む血液を貯蔵し、且つ、循環血液の不足の場合これを放出し、以て循環血量の調節と生命保全に重大な意味を持つていることは明らかである。

c 血液浄化作用

脾洞の壁の細胞は、細網細胞(細かい網状のもので網のもつ突起が互いに合している)で、老廃せる赤血球を破壊して、血液を浄化する働きを持つ。

さらに、血液中に混入せる細胞の破片・細菌・粒子ないし微粒子状の異物を溶解・摂取して血液を浄化する働きを持つ。

d 細菌感染に対する防禦作用

脾臓は、微生物の感染による多くの疾患に際して、急性又は慢性脾腫を生ずる(脾腫とは、脾臓が腫大して左季肋下に触知できるようになつたものをいう)。これは、細菌の血中侵入による一つの反応であり、血中の細菌を捕捉し、血液を浄化せんとする脾臓の機能の現われとみることができる。

又、種々の細菌を血行内又は腹腔内に注入すると、間もなく流血中の菌が消失するにもかかわらず、脾臓には多量の菌が見出される。これは脾臓内に抗原(生体を刺激して抗体の産生を促す物質)が固定され、そこで抗体が産生されるものと考える。結局、脾臓は抗体の産生に対して一定度の役割を演ずることは明らかである(但し、個体の免疫という点迄の作用があるかどうかは判明しない)。

さらに、細菌を血行内へ直接注入した場合、正常動物は剔脾動物に比べて抵抗力が大であることが認められる。すなわち、脾臓は、細菌感染に対する抵抗という点について防禦機能を有するものである。

e その他の作用

脾臓は、血液中より不要な鉄分を分解した上で貯蔵し、必要に応じてこれを血中に放出して赤血球新造の材料として供給する働きをもつ。

その他、他の臓器と同様に、蛋白質・糖質・脂質の新陳代謝と関係している。

<4> 脾臓の剔出

現代医学において、外的衝撃若しくは内部疾患に基いて脾臓の剔出が行われることは多くある。而して、脾臓剔出によつて、直接生命が失われることはあり得ない。そこで、一般的に、「健常状態にあつては脾臓を剔出しても、その機能は一定度までは他臓器によつて代償せられ、生体に対して特に著しい障碍を与えない。言い換えれば、その機能には生命の保持に絶対の意義を有しないものが多い」「ヒトの脾臓は昔はいわゆる五臓(心・肺・肝・腎・脾)の一つとして重要なもののように考えられていたが、今日では、手術によつてこれを除去しても生命を維持できることからも明らかなように、生命にとつて不可欠のものとみなされていない」などと結論づけられている。

然し、同時に、このような結論づけの反面、又次のように、「脾臓は之を切除するも直接生命に危険はないが、細菌性疾患に対する抵抗が減弱することが知られている」「脾臓の生理的機能として現在挙げられているものは極めて複雑で、しかもなお不明な点が甚だ多い」とも結論されているのである。

右の二つの結論は、その何れも真実の一側面を表現している。

このように矛盾するかに見える結論が並列され、しかも、その各々が一応の真実性を持つていることの理由は、次の二点、すなわち、第一に人体実験が不可能なため、動物実験等の結果から人の脾臓について結論を導き出さざるを得ないという点、第二に剔脾した人間の術後の追跡調査が充分に行われていない点にあると思料される。

結局、剔脾により、人は直接的にそれを原因として生命を失うことはないが、然し、それがその人のそれ以後の生存活動に対し、どのような影響を与えるものかは、現在、明確に認定し難いという結論が一般的な見解である。

<5> 脾臓剔出による精神上の不安・動揺

以上述べた事実を前提として、洋子としては脾臓剔出による次の如き不安・動揺を禁じ得ない。而して、右の如き心情は、現代医学において脾臓剔出後の人の生存能力につき明確な結論を出し得ない状況において、誠に当然のことといわねばならない。

a 生育について

事故直前迄何ら異常もなく生育して来た洋子にとって、今後脾臓剔出が、その生育に如何なる影響を及ぼすか、現代医学は回答を与えていない。然し、言い得ることは、脾臓剔出が人生に対し好結果をもたらすことはあり得ないということである。むしろ、どのような意味においてであれ、幼少の洋子の今後の生育に何らかの悪影響があると考える方が妥当である。

洋子としては、今後、成人に成育する形成途上の重大な時期にかかる身体障害を受け、将来の生育に対する不安は甚大である。

b 病原体に対する抵抗力の低減

現代医学において脾臓が病原菌に対する抵抗体としてのリンパ球を造成する機能を持つことが確定されている。

然りとすれば、洋子が今後の人生において、伝染病菌その他の細菌に感染・侵入されたような場合、それに対する抵抗力が低下し、通常以上に罹病し、或は重患となり、更には療養長期化、最悪の事態においては脾臓剔出の故の失命ということもあり得ることである。

右の事実が一応現代医学において推認し得るものである以上、右の不安・動揺は甚大なものであり、当然のものであるといわねばならない。

c 結婚・出産に対する不安

洋子が成人に達し、結婚する際、後述する外傷とともに、洋子は脾臓剔出を相手に告知せねばならない。この告知が、洋子の結婚に重大な支障を来すことは明療である。他の条件が全く同一である限り、脾臓剔出した洋子より、他の女性を選ぶことは人間の通常の考えである。

更に、洋子としては、結婚したにせよ、出産については通常人以上に慎重にならざるを得ない。前述のとおり、病原菌に対する抵抗力の弱い洋子にとつては、出産は通常の女性が出産に対し危険を感ずることの何倍かの危険を感ぜざるを得ず、従つてそのことは、洋子の出産について甚しい障害とならざるを得ない。

これらの諸点も、女性である洋子にとつて、甚大な精神的不安・苦痛である。

d 生存年数短縮についての不安

上述したところからも明らかなとおり、洋子にとつて、脾臓剔出のために、生存年数が短縮することはあつても、長期化することはあり得ない。

e 労働能力低下による不安

脾臓剔出により、然らざる通常人に対し、洋子の体力が低下し、従つて労働能力が低下するであろうことは推認し得るところである。現時点において、洋子には労働能力低下を論議する実益は存しないのであるが、将来においてこれが低下を来すであろうことが推認されるということは、現在において、洋子にとつて、精神的負担・苦痛を与えるということである。

f これらの不安は後述の如く更に二回もの開腹手術が必要となつたことによつて現実的な不安であることが明らかになつた。

<6> 以上述べれたとおり、洋子にとつて、脾臓剔出による精神的不安・苦痛・動揺は甚大なものがあり、それに対する慰藉料は金二〇〇万円が相当である。

ロ 手術痕による慰藉料

<1> 洋子は、脾臓剔出手術の為に左上腹部を縦・横に長く開腹し、手術後これを縫合した。右縫合部の長さは、縦二〇cm、横一〇cm程である。この縫合手術部の傷痕は、赤く腫張してふくらんでおり、醜状を呈している。

<2> 右手術の傷痕が、今後如何なる経過をたどるか現時点においては判明しない。

時間の経過について、色・腫張部が通常の部位の如くに良好になつていくか、或は、逆に色も益々特異になり、腫張部位もさらに凸凹が甚しくなつて行くか、現時点において将来を予測し得ない。

<3> 然しながら、洋子が女性であることを考えれば、例えこの醜状が直接外部に露出している部分でないとしても、洋子に与える精神的苦痛は甚大なものである。

今後の洋子の生活において、この傷痕が、a学校生活におけるプール・運動会・身体検査・体育・旅行等の際、b成人に達しての水泳・結婚の際等、実に量り知れぬ精神的苦痛を洋子に与えることは明白である。

従つて、右手術痕による慰藉料としては金一〇〇万円が相当である。

ハ 入院・通院治療による慰藉料

原告洋子は本件事故による脾臓破裂等の傷害のために、昭和四三年六月二九日から同年八月一日迄の間横浜市鶴見区東寺尾町一六六〇番地橋爪病院に入院、脾臓剔出手術等を受けたが、その後右手術に基因する腸癒着、腸閉そくのため昭和四四年六月二四日から同年七月五日迄の間及び昭和四五年二月一日から同年同月一四日迄の間いずれも入院、手術を受けた。

また、同原告は本件事故による右の三度に亘る手術の後、昭和四三年八月二日から同年同月三一日迄、同四四年七月六日から同年八月三一日迄、同四五年二月一五日から同年同月二八日迄の間いずれも通院・自宅療養を余儀なくされた。

小学校一年生として希望にもえて新しく学校生活に入つたばかりの同原告にとつて、右のように度々入院し、或いは通院・自宅療養を続け、学校と無関係の状態におかれることに対する精神的苦痛は甚大である。

従つて、これに対する慰藉料としては第一回目の入院に関して金二〇万円、第二、第三回目の入院に関して各金一〇万円、第一回目の通院、自宅療養に関して金五万円、第二回目のそれに関して金一〇万円、第三回目のそれに関して金三万円合計金五八万円が相当である。

(ⅲ) 弁護士費用

原告洋子が本件訴訟を提起するにあたり、同原告の父である原告清房は原告ら代理人弁護士猪熊重二にその訴訟手続の一切を委任し、そのため同弁護士に対し着手金として金一〇万円、報酬として金二〇万円の支払いを約し、右着手金は昭和四四年三月一三日に支払つた。

従つて、右弁護士費用合計金三〇万円は原告洋子が本件事故により被むつた損害と言うべきである。但し、これが原告清房の損害となるとすれば、同洋子の損害から控除する(後記2の(ⅱ)参照)。

2 原告清房の損害

(ⅰ) 慰藉料

原告清房は原告洋子の父であるところ、原告洋子は末女であるため特に可愛がつて今日迄生育してきたのである。

ところが、本件事故により同原告は重大な身体傷害を蒙り、これによる同原告の不安・苦痛はそのまま親であるところの原告清房の苦痛である。

従つて、原告清房の精神的苦痛に対する慰藉料としては金五〇万円が相当である。

(ⅱ) 弁護士費用

原告清房は同洋子のために前叙の如く本件訴訟を弁護士猪熊重二に委任し、着手金として金一〇万円、報酬として金二〇万円の支払いを約し、右着手金は昭和四四年三月一三日に支払つた。

従つて、右弁護士費用合計金三〇万円は同原告が本件事故により蒙つた損害と言うべきであるが、もしこれが原告清房に生じたものでないとすれば、それは原告洋子の蒙つた損害とすべきである(前顕1の(ⅲ)参照)。

3 原告和子の損害

本件事故により原告洋子が蒙つた重大な身体傷害は同原告の母である原告和子に対しても深い精神的苦痛を与えたものであり、これに対する慰藉料としては金五〇万円が相当である。

(四)  よつて、被告に対し、原告洋子は金三三〇万円、同清房に対し金八〇万円、同和子に対し金五〇万円及びこれらに対する(但し、原告清房についてはうち金五〇万円)本件事故の日の翌日である昭和四三年六月三〇日以降完済迄民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否

(一)  請求原因(一)交通事故の発生中、6受傷内容は否認し、その余は認める。

(二)  請求原因(二)責任はすべて認める。

(三)  請求原因(三)はすべて否認する。

(ⅰ) 原告洋子の逸失利益について

労働省労働基準局長通牒による労働能力喪失率表が有力な蓋然性ある資料として適用されるためには、その資料に適応した前提条件が必要であるところ、原告洋子においてはその前提条件に欠けるものであり、これを適用することは適切でない。

すなわち、右表は現に労働に従事している者を対象にしたものと解すべきところ、原告洋子は本件事故当時小学一年生(満七才)であり、これに該当しないこと、又同原告は若年であるから就労迄には喪失の程度を回復するであろうことが経験則上明らかであること、同原告が女性であることにより将来就職しうる業種も一般的に事務系統のものが多いことが予想されること等である。

(ⅱ) 原告洋子の慰藉料について

自動車損害賠償責任保険の後遺障害級別表によれば脾臓を失つた場合は八級一一号とされており、その保険金額は一〇一万円(昭和四二年政令二〇三)である。従つて脾臓剔出による慰藉料としても右の限度が相当である。

亦手術痕による慰藉料は右後遺障害に包摂されているので特に考慮する必要はない。

三  抗弁

(一)  本件事故の発生した道路は歩車道の区別のある、車道幅一四・五メートルの舗装路であり、被告車の対向車線は車両が二列に連続停車していた。被告は中央線寄りを進行していたところ(被告車の先行車はなく、左側を軽四輪車が同方向に進行していた)前方の横断歩道標示線内を右側連続停車車両の間から、手を上げる等何ら横断の合図をすることもなく、突然飛び出してきた原告洋子を約一三メートル手前で発見し、急制動の措置をとつたものの、及ばず被告車を発見してそのままうずくまつてしまつた同原告に衝突したものであるから、同原告にも本件事故の一因をなす過失があり、従つて相当程度の過失相殺がなさるべきである。

(二)  原告洋子は自動車損害賠償責任保険により、慰藉料として金三七、〇〇〇円、後遺症慰藉料として金一〇一万円を受領しているほか、被告が橋爪病院に差し入れた入院保証金二万円を同病院から受領している。

四  抗弁に対する認否

(一)  過失相殺の主張は争う。

1 そもそも本件事故現場は、道路上に横断歩道を示す標示線が鮮明であり、亦その手前には横断歩道を示す標識もたてられており、さらに右横断歩道は主として学童通行用のものとして設置され本件事故発生の時間はまさに学童の通行時間帯であつた。そして被告は右の事実を熟知していたものである。

2 被告の対向車線の車両は原告洋子の横断のため停車していたものであり、同原告は横断歩道上を横断して道路中央線に至り、左方を見たところ被告車及びそれと並進してくる車両を認めた。

そこで原告洋子は横断を完了することは不可能と考え、且つ危険を感じて、横断を中止し後退すべく後方を見たところ、前記停車車両は同原告が既に中央線を越えたことを認めて進行を開始していた。そこで進退に窮した原告洋子は突嗟に頭を保護するためこれを抱えてうずくまつたものであつて、同原告が被告車を発見し衝突する迄の間、何秒かの時間が経過しているのであるから、被告は本件事故を回避することが充分可能であつたと言うべきである。

(二)  後遺症の損害賠償金として金一〇一万円、入院期間中の慰藉料として金三万円、合計金一〇四万円を受領したことは認める。

第三証拠〔略〕

理由

一  (交通事故の発生)

請求原因(一)中1ないし5の事実は当事者間に争いがなく、〔証拠略〕によれば本件交通事故により原告洋子は原告ら主張の受傷をしたことが認められる。

二  (責任)

請求原因(二)は当事者間に争いがない。

三  (損害)

(一)  〔証拠略〕によれば、原告洋子は本件事故による脾臓破裂のため昭和四三年六月二九日橋爪病院において脾臓剔出手術を受けたこと、ひき続き同日より同年八月一日迄同病院に入院、同年八月二日より同月三一日迄通院、自宅療養をなしたこと、その後右手術に基因する腸癒着、腸閉そくのため昭和四四年六月二四日から同年七月五日迄及び昭和四五年二月一日から同月一四日迄いずれも同病院に入院、手術を受けたこと、昭和四四年七月六日から同年八月三一日迄、同四五年二月一五日から同月二八日迄いずれも通院、自宅療養をしたことが認められる。

(二)  ところで、労働省労働基準局長通牒(昭和三二年七月二日)による労働能力喪失率表によれば脾臓剔出の労働能力喪失率は四五パーセントとされている。

これに対して、被告は本件においてはこれを適用すべきでないと主張し、その理由として原告洋子が若年で未就労であること、就労迄には喪失の程度を回復するであろうことが経験則上明らかであること、女性であるから事務労働に従事することが予想されること等を挙げるけれどもかかる立論は直ちに首肯しがたく、これを以て右有力な資料をしりぞけるに足るものとすることはできない。

総理府統計局編「第一九回日本統計年鑑」によれば昭和四二年度の常用労働者三〇人以上の事業所における女子の現金給与総額(きまつて支給される給与及び特別に支払われた給与の合計)は平均月間二七、五〇〇円(年間三三万円)である。(もつともこれを年令階級別にみれば一八才ないし一九才のそれは右金額よりも相当低いことは確実であるが(ちなみに一八才ないし一九才の平均月間きまつて支給される給与額は一八、七〇〇円である)、原告洋子が就労することが予想される一八才迄には一〇年余の期間があり、わが国の現下の社会・経済情勢からして、その頃迄には相当程度の賃金上昇が充分予想されるし、年令上昇等による昇給も一切考慮しないのであるから、右金額を逸失利益算定の基準とすることは不当とは言えない。)

そこで、原告洋子は毎年年間一四八、五〇〇円(27,500×12×45/100)の損害を蒙ることになる。

〔証拠略〕によれば原告洋子は当時満六才一一ケ月(昭和三六年七月三〇日生)であるから六七才余迄生存でき、その間一八才から六三才迄就労可能である。そこで、この間の合計損害額からホフマン式計算により年五分の割合による中間利息を控除して計算すれば原告洋子の逸失利益は金二、五八〇、九三〇円となる。

その計算式は次のとおりである。

148,500年間の損害×(26,595-9,215)6才の就労可能年数57年の係数=2,580,930 6才の就労不可能年数1.2年の係数

(三)1  自動車損害賠償責任保険の後遺障害級別表によれば脾臓を失なつた場合は第八級一一号とされており、その保険金額は一〇一万円(昭和四二年政令第二〇三号)である。ところが、原告らは脾臓の生理・機能等につき詳細に論じたうえ脾臓剔出による原告洋子の種々の精神的不安・苦痛・動揺を指摘し、これに対する慰藉料として金二〇〇万円が相当であると主張する。

しかしながら、「健康状態にあつては、脾臓を剔出しても、その機能は一定度までは他臓器によつて代償せられ、生体に対して特に著しい障碍を与えない。」換言すれば「脾臓の機能は生命の保持に絶対の意義を有しないものが多く」、「生命にとつて不可欠のものとみなされていない。」と一般的に結論されていることは原告らの自認するところであり、また〔証拠略〕によつても明らかなところである。

更に、原告らは腸癒着・腸閉そくのため二回も開腹手術を必要としたことによつて原告ら主張の不安が現実的なものであることが明らかにされたと主張するけれども、これらは脾臓剔出によるものではなく、脾臓剔出「手術」に基因するものと言うべきである。

以上によれば、脾臓剔出に対する慰藉料としては金一〇一万円が相当と言うべきである。

2  〔証拠略〕によれば二度の手術後である昭和四四年一一月一五日の時点で、すでに手術痕は胸部から下腹部に至り、相当醜状を呈していることが認められ、〔証拠略〕によれば三度目の開腹手術によつて更に傷痕が太くなつたことが認められる。

このような手術痕が前記後遺障害等級別表のいずれに該当するか、直ちに言うことはできないが、同表第一二級一四号「女子の外貌に醜状を残すもの」を参考にして、これに対する慰藉料としては金三〇万円が相当であると考える。

3  前記認定の如く原告洋子の手術・入院は合計三度、その入院日数は通算六〇日に及び、通院・自宅療養日数は通算約一〇〇日である。

同原告は当時希望にもえて新しく学校生活に入つたばかりであり、右のように再三に亘つて入院・通院或いは自宅療養のために学校生活から切りはなされたことは、再三の手術等による肉体的苦痛にもまして幼い同原告を苦しめたであろうことが推認される。

従つて、これに対する慰藉料として合計金三〇万円が相当である。

(四)  本件訴訟において着手金一〇万円、報酬二〇万円合計金三〇万円の弁護士費用は相当である。

これもまた原告洋子の本件事故による損害と言うべきである。

(五)  以上によれば本件事故による原告洋子の損害は合計金四、四九〇、九三〇円となる。

(六)  原告清房及び同和子は原告洋子の父及び母であるが、本件事故により甚大な精神的苦痛を蒙むつたことは、既に示した事実並びに〔証拠略〕により推認するに難くないが、しかし、本件程度の傷害では未だ以て民法第七一一条所定の生命侵害に比肩しうべきものとすることは相当でないから、同人らの固有の慰藉料はこれを肯認するに由がない。

また、原告清房は弁護士費用を自己の損害として請求しているが、これは前記の如くすでに原告洋子の損害の一部として認めるべきものであるから、原告清房の損害に加うべきでない。

従つて、原告清房及び同和子の本件請求はいずれも理由がないことに帰し排斥を免れない。

四  (過失相殺の主張について)

〔証拠略〕を総合すれば本件交通事故の発生に至つた経過・態様は次のとおりであることが認められる。本件事故当時原告洋子は豊岡小学校一年生であり、事故当日もいつものとおり姉美寿津(当時同小学校六年生)と一諸に午前八時頃家を出て、約五分位で本件事故現場の横断歩道附近迄来たが、美寿津が附近の文房具屋で買物をしなければならないというので、同所で美寿津と別れた。

その時本件道路の状態は三角交差点から国鉄地下道方面へ向う車線は右横断歩道を境にして左右ともすべて車両は停止しており、反対車線には走行車両がなかつたので原告洋子は一人で右横断歩道上を千代田生命側から豊岡小学校側に向けて横断しはじめた。

(なお、この点につき被告は、被告の反対車線には横断歩道上にも停車車両があり、原告洋子はその間をぬつて出てきたと供述しているが、これは単に反対車線は車両が「いつぱいつまつていた」ことからする推測にすぎず、同人の前後の供述からしても全く措信することができない。)

そして、中央線附近迄来て国鉄地下道方面を見たところ、中央線寄りを進行してくる被告車と更にそれに接近してその左後方を進行してくる車両を発見し、そのまま横断を続けては危険だと感じ、引き返すべく後退しようとしたが、その時には既に前記停車車両は走行を開始していたため、進退に窮した原告洋子は常日頃母親から頭だけは気をつけなさいと注意されていたことを思い出し、突嗟に両手で頭を抱えてその場にうずくまつたのである。

一方、被告は本件事故の二ケ月位前から毎朝本件道路を被告車を運転して往復していたものであり、往路に三角交差点方面から国鉄地下道方面に向けて午前七時四五分ないし同五〇分頃本件事故現場附近を通行、復路は反対車線を午前八時ないし同一五分頃通行しており、本件事故現場に横断歩道があること、右の時間は丁度学童の通行時間帯だということを熟知していた。

従つて、本件事故現場を通過するに際しては特に学童の横断のあることを予想し、前方注視するのは勿論減速、徐行して万全を期すべき注意義務があるにも拘らず、先行車もなかつたため、「ちよつとそのまま走ろうという気持ち」で漫然と制限速度(時速四〇キロメートル)を超える時速約四五キロメートルの速度で進行した。これに対して、原告洋子は当時わずか六才余であつた。

以上の事実が認定され、この事実に徴すれば、本件事故は被告の一方的過失に基因するものであつて、原告洋子としては同人のとりうる最善の措置をとつたものと言うべきである。されば、原告洋子には過失はなく、従つて被告の過失相殺の主張はこれを採用しえない。

五  〔証拠略〕によれば原告洋子は自動車損害賠償責任保険により合計金一、〇四七、〇〇〇円と被告が橋爪病院に差し入れた入院保証金二万円との合計金一、〇六七、〇〇〇円を受領していることが認められる。

六  従つて、本件事故による原告洋子の全損害額金四、四九〇、九三〇円から右の金額を控除した金三、四二三、九三〇円が原告洋子の損害となるから、被告は原告洋子に対してこの損害金とこれに対する本件事故発生の日の翌日たること明らかな昭和四三年六月三〇日以降完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務がある。

七  それ故に、右限度内にある原告洋子の本件請求はこれを正当として認容し、原告清房、同和子の本件請求はいずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を、仮執行の宣言について同法第一九六条第一項、第四項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 若尾元 石藤太郎 西理)

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